誕生秘話

ATELIER SAZANCA誕生秘話

ATELIER SAZANCAはもともと創業者(以下私)が「人と腕時計が被った…」という自身の経験から「誰とも被らない腕時計を作ろう」という趣味からスタート。

当時、私は仕事で地下鉄に乗っていました。

仕事で得意先に行くときです。

 

その日は、梅雨前の時期。

GWも終わり、世間では連休明けで久しぶりの仕事や学校に、少し気も重くなるような日。

ホームへ入り込んでくる電車を待っている乗客も、どこか少し気持ちが重そうな雰囲気。

 

自分はというと、GWも関係なく仕事をしていたので、毎日淡々と過ごすそんな日々。

毎日同じような日が続き、刺激が足りない日々がどこかもの悲しく、でもどこかまったりとした時間に染まりかけているような日々でした。

 

もともと、刺激が足りない生活が嫌い。

そんな人間です。

 

私は学生時代は芸能事務所にスカウトされ、モデル活動を17歳~24歳まで行っていました。

モデルと言っても、パリコレとか、大きいファッションショーに出たり、雑誌のファッションページに出たりとかではなく、主に企業モデルとして。

 

わかりやすく言うと、某企業のテレビCMや某企業のカタログがメイン。

皆さんも知っているあのCMやあのカタログです。

もしかしたら、どこかで皆さんにもご覧いただいているかもしれませんね。

でも、それをずっとやっていると、不思議といろいろなお話を貰うようになりました。

ドラマの話や映画の話。

もちろん、大きい役ではないですが、しっかりクレジットに名前が出るなど、そんな活動をしていました。

でも、その道で生きて行こうっていうのは…

そこまで覚悟がありませんでした。

そんな挫折も味わっています(笑)

 

私は高校卒業後、大学に進学しました。

芸能活動もあるので、両立するのは少し大変でした。

 

大学3年生の時、誰しもが悩む「進路」

私もこの時、とても迷ってました。

芸能活動を辞め、企業に就職するのか。

 

とても悩みました。

 

実は自分がやりたい仕事がこの時なかったんです。

芸能活動はスカウトがきっかけでしたが、興味はあり、始めました。

でも、活動して思ったのが、「自分は表に出る人間ではないという事」

友人には東京ドームを満員にするアイドルもいれば、皆さんもテレビや映画館で観る有名な俳優さんもいます。

やっぱり、その友人たちと自分の技量を比べると、自分は全然なんですよね。。。

だから、大学卒業後の進路はとても悩んでいました。

 

そんなある日、とある映画の撮影でスタジオに早朝から真夜中まで撮影していた日がありました。

私は出番待ちの時にお手洗いへ。

その時洗面台の前で、スタッフさん(自分より年上)と話していたんですけど、「裏方の仕事は表には出れないけど、映画を作る一体感を満喫できますよ」と言われたんです。

そのスタッフさんは、一つの作品をチームで作るそんなところに魅かれ、この業界に入ったのだと。

でも、その反面、何日も家に帰れないとか、休みはないとか、厳しい現実も教えてくれました。

 

もしかしたら、自分には作品作りの裏方が向いているのではと思い、某テレビ局の方に相談に行きました。

 

「裏方の仕事に興味があるんですけど」

自分の気持ちをぶつけてみました。

そんな時、その方はある新会社設立に関わっているという話をしてくれました。

その方は、いろいろな仕事をしてきた方。

今でも、私のビジネスの一番信頼できる先輩です。

その話を聞き、その方は言ってくれました。

「一緒にやってみる?」と。

これが大学3年生の時。

私はこの新会社設立に参加しました。

その新会社は、とある上場企業創業者が出資して設立する会社。

誰しもが知る経営者でした。

私はその会社で大学卒業するまで、学生・モデル・ビジネスマンとして3足の草鞋で歩き出しました。

この時の自分はほとんど休みなく、とても忙しかったのを覚えています。

どんな会社か?

それは、アメリカの有名ブランドのライセンスを取得し、日本で販売するという商社の立ち上げ。

そのブランドはニューヨークタイムズで取り上げられたり、チャリティーでブリトニースピアーズ、ヒルトン姉妹、イヴァンカトランプなど著名人も参加するなど、世界的に有名なブランド。

日本での販売を開始し、目まぐるしいほどの日々が訪れました。

元旦は電車の中で、仕事帰りに迎えたことも。

でも、あの時の厳しさが今の糧になっているのは言うまでもない事実。

大学生なのに、この重要な業務を行うことが出来たのが、今の自分を形成させています。

 

そして、大学が卒業に近づく時。

私は、大学を卒業を期に、独立。

 

一人で歩む道を選択しました。

大学卒業を期に会社を設立。

新宿にありました三越百貨店にて専門店をオープン。

その後、店舗を増やし、忙しい日々を遅らせていただきました。

 

でも、とても厳しい日々の連続。

もちろん、楽しいことや嬉しいこともありましたが、今振り返れば、辛かったことや厳しかったことを思い返します。

ただ、一つ言えるのは、この時の成功や失敗が今の自分を作り上げているという事。

 

だから、新しい門出に立つ人を見ると、いつも「Good Luck!!」と声援を送ります。

 

その数年後、冒頭で話したように、得意先に向かうとき、電車を待って、電車に乗り込みました。

そして電車のつり革を捕まり、となりの男性の手首を見ると、自分と同じ腕時計をしていました。

 

これがATELIER SAZANCA誕生の瞬間。

 

その後、自分で腕時計を作り、いつしかそれが欲しいと言ってくださる見ず知らずの方が増え、いつしか腕時計を作って販売していました。

そして現在では、船橋市公認ブランドして、ふなばしセレクションに認証。

 

人生なんていつ何が起こるか、どんな人と出会うかわかりません。

ATELIER SAZANCAはとてもアクセスの悪いところに店舗があります。

それでも、遠方からはるばるお越しいただくお客様もたくさんいらっしゃいます。

その出会いは、偶然自分と同じ時計をしていた男性がいたから。

もしかしたら必然だったのかもしれません。

 

今この記事を書いているちょっと前も、近所のパン屋さんに行ってきました。

昔から通うパン屋さん。

オーナーさんと30分くらい話してきましたが、とても楽しい時間になりました。

 

人と人が繋がることで、新しい化学反応が産まれます。

 

ATELIER SAZANCAの腕時計もお客様と新しい化学反応が産まれ、より良いモノが誕生したらと思います。

もしかしたら、今後腕時計ではないそんな製品が誕生するかもしれませんが、たくさんの人が笑顔になれるそんな製品をお届けできたら幸いです。

SAZANCAの誕生秘話

 

そして、2019年新元号「令和」を迎え、アトリエサザンカは大きな転換期を迎えました。

冒頭でも話をした通り、元々私はアトリエサザンカを始める前は経営に特化した仕事をしていました。

会社経営を行う傍ら、税務の勉強も行い、税理士事務所で兼務。

コンサルタントとしても活動していました。

2019年は新会社を設立したいという声をいただき、2社設立に参加。

また、2020年は社員150人程の企業の顧問に就任。

アトリエサザンカから少し離れ、ビジネスの道に戻りました。

2022年からは上場準備企業の取締役CFOに就任。

上場準備に携わり、2025年は新たに新会社設立に参加しています。

本業は何なのか?

自分でもよくわかりませんが、財務をメインとした経営コンサルタントなのかもしれません。

 

そんな中、2025年はアトリエサザンカの原点に返り、金属腕時計の再販売を開始することとしました。

自分の経歴を振り返ると、不思議な経歴だと思います。

ただ、「腕時計が大好き」だという事。

寝るときも腕時計をしていますし、他社の腕時計もたくさん持っています。

「腕時計からは生涯離れたくない」

これが私なのかもしれません。

今も2012年に自分で作った腕時計を愛用しています。

13年経った腕時計がこちらです。

 

経年変化した金属(真鍮)が味わい深く、また革ベルトが手首になじんで自分の型にはまっています。

これが手作り腕時計の何と言っても一番の魅力!

これを届けたいという想いから私はアトリエサザンカを創りました。

これがアトリエサザンカの誕生物語であり、「手作りの魅力」「職人の技術」を届けたいというのがアトリエサザンカの存在する意義です。

 

今は未来を描くビジョンへ向け、現在日々新たな準備をしております。

それがなんなのか?

それは然るべき時が来たとき、お教えいたしましょう。